霞山会館について

概史

1928年 東亜同文会館の竣工

東亜同文会館

一般財団法人霞山会の前身である財団法人東亜同文会(注1)は、近衞家より寄贈された東京目白の地所の売却代金を基金に、有志の寄付を加え、千代田区霞が関3ノ4(当時麹町区三年町1)の御料地を借り、昭和3(1928)年4月会館建設に着手、同12月に竣工させました。

旧霞山会館:
鉄骨鉄筋コンクリート造、2階建 延べ305坪(1008.3u)
設計:岡田信一郎
施工:清水建設株式会社(当時清水組)

東亜同文会は有楽町の仮事務所から移り、初代会長近衞篤麿の雅号を冠して霞山会館としました。終戦による東亜同文会の解散まで本部として機能し、会員定例の会合、講演会、その他官民の各種会議の会場として広く利用され、東亜関係者結集の舞台となっただけでなく、近衞文麿、阿部信行内閣の組閣本部として脚光を浴びたこともありました。

(注1)東亜同文会は、「東亜会」と、陸羯南、犬養毅などによって結成された「同文会」が明治31(1898)年11月に合流し、「東亜の保全と輯協」を目的として発足しました。

1958年 霞山会の設立

東亜同文会は昭和20年の終戦によって歴史的使命を終え、昭和21(1946)年3月1日付で解散の認可を受けました。清算完了後、昭和23(1948)年3月24日、同会主要資産を継承して、財団法人霞山倶楽部が正式に設立されました。その後、昭和33(1958)年に財団法人霞山会へと改称しました。平成25年(2013)4月1日に一般財団法人霞山会となりました。

1959年 接収解除から霞山ビル建設へ

霞山倶楽部は設立されましたが、事業の本拠となるべき霞山会館は占領軍に接収されていたため、昭和30(1955)年の返還までは、西神田にある東方学会に仮事務所を設置しました。

返還された会館は著しく荒廃していたため、昭和34(1959)年、資産の拡大と恒久的な自主経営の基盤形成のため新しいビルの建設に取り組むこととなりました。

昭和35(1960)年12月 国有地買受
昭和36(1961)年6月 旧霞山会館の解体着工
昭和39(1964)年2月 新ビル竣工、霞山ビルと命名9階に霞山会館を設置
以後、留学学術研究交流等の事業を展開

霞山ビル:
鉄骨鉄筋コンクリート造、地下3階、地上9階建 延べ3670坪(12132.21u)
設計:松田平田設計事務所
施工:大成建設

2007年 霞山会館リニューアルオープン

2007年霞が関コモンゲート西館(霞山会館ビル)開業にともない、霞山会館は同ビル最上階37階に移転し、リニューアルオープンしました。
最上階(37階)の霞山会館は、旧霞山会館のファサードを再現しています。